
リーホウ!
イツマ老師の秘書を務めるMAHAです。
先日無事、台湾入りを果たし早いもので隔離6日目となりました!!
「自分のことのようにドキドキする」「PCR検査の前にちゃんと口の中消毒してね!」「もう台湾着いた!?」など、親以上に私の渡台を気にかけていただいたみなさま、ありがとうございます!
ワーホリネタ以外にも、おもしろい台湾ドラマや、台湾豆知識をたくさん見つけてこちらで共有したいと思いますので、末永くお付き合いいただけると嬉しいです♪
私自身、台湾の歴史にも興味があり勉強中なので、今日は意外と知らない「彩虹眷村 cǎi hóng juàn cūn」のお話し。

おじさんに救われた村!
台中の名所「彩虹眷村」の裏に隠された物語
《被歐吉桑拯救的村落「彩虹眷村」》
みなさん、台湾にある「眷村(けんそん/juàn cūn)」の意味を知っていますか?
お恥ずかしながら私は最近までずっと「眷村」を「春村」と読み間違えていました。
この「眷村」とは、一言で言うと、“台湾において外省人が居住する地区”のこと。
第2次世界大戦後、蒋介石率いる国民党軍が台湾に進駐し、統治を始めた際に、一緒に移住してきた軍人たちが暮らす地域だったことから「軍人村」とも言われています。
眷村の多くは日本統治時代の建築物を利用したため、日本統治時代に日本人が多く居住していた台北市、嘉義市、台南市、高雄市などに集中しています。軍事基地付近の新北市と桃園市でも多く残っていますが、20年ほど前より住人の減少、高齢化、治安の悪化などの理由から、都市開発とともに新しいマンションに建て替えられ、年々少なくなっています。
台湾好きなら一度は耳にしたことがあるであろう、台北の「四四南村」も眷村をリノベーションし、アートスポットとなった場所の一つですね。

そして今では台中、いや、台湾を代表する観光地となったこの「彩虹眷村」 SNSの普及によって露出が高まった効果で国内外からの年間来訪者数が2017年には200万人を突破。 (2019年の日本から台湾への訪問客数が約200万人であることからも相当な数だと言えます。)
ここもかつては眷村であり、今の姿になるまでにはある夫婦のストーリーがありました。
2008年8月、住民の一人である黃さんは突如、自宅付近の家屋にペイントをし始めます。
当時、この村でも都市開発の工事期限が迫ってきていました。
この眷村に愛着のある地元民にとってみれば、それは故郷を失うのと同じ。
そこで、もっと多くの人に注目してもらおう、認めてもらおう!という想いで黄さんは毎日毎日絵を描き続けました。

2010年、嶺東科技大学や弘光科技大学の教授や学生たちが、この壁画アートに価値を見出したことで、その学生の一人が台中市政府に眷村を文化資産として保存するよう申請したのです。
そこから「搶救彩虹村(彩虹村救助活動)」としてムーブメントが拡大。
同年9月に当時の台中市長や、市文化局局長などの関連組織での討議を経て、建築物自体は文化資産としての認定基準には満たないものの、特別に「彩虹芸術公園」として保存されることになりました 。
そして黄夫婦の住居のみが残され、2014年1月25日に芸術公園としてオープン。
そう、黃さんのアートは村を救ったのです!!!
2021年1月、黃さんは97歳の誕生日を迎え、今も毎日、絵を描き続けているそうです。

(参考文献:Wikipedia)
その土地が生まれた背景や歴史を学んでから訪れると、より一層、旅がおもしろく感じるかもしれませんね。
ぜひみなさんも台湾で好きな場所があれば、その土地の名前の由来や背景を調べてみてください☺
もしかしたら新しい発見があるかも!?
まだまだ知ならい台湾がいっぱい、知れば知るほどまた行きたくなる不思議な国ですね。
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